2017年4月9日日曜日

釣具屋の親父 ~哀戦士~

どうも皆様おはようございます。
万太郎です。





 釣具屋。

それは、オヤジ達が自分のコレクションを探すために集まり、海老やイソメがその出番を待ち焦がれ、待機するブリーフィングルームであり、楽園であり、サロンである。


 私は、釣りが趣味でなかった頃は、このご時勢これほどの釣具屋の店舗数が必要なのかと思ったほどであった。

昨年の話になるが、私が初めて釣具屋に入った時には驚いたものだ。

何が何やらわけがわからぬ。

50代、60代のオヤジがその朋友(とも)と共に訪れ、心の底から談笑し、本音をぶつけあう。

明日の7時な、といい歳したオヤジ同士が子供のような目で店から出ていく。

腕自慢、モノ自慢、報告会、連絡会、打ち合わせ…。

店員に勧められたものが不服だったオヤジががなり散らしている。

ここでは店員も朋友(とも)なのだ。



 釣りほど道具に依存するスポーツはないだろう。

多数店舗が見受けられるゴルフでさえも釣りの商品数にはとても敵わない。

私は釣りに関わり始めて1年前後であるが、その今でさえ使用方法のわからないものが多数存在する。

私は、まるでわかっているかのように品物を手にしては難しい顔で首をかしげて品定めをする。

そして心の中で思うのだ。

いったい何が違うんだ。

なるほど…、さっぱりわからん。

釣り針が魚との唯一の接点だという記事を読めば、確かにそうだと思い、黄色い針がチヌに効く、とインターネッツで見かけてはそれを探し、釣り場で合った隣のオヤジにムツが良いと言われればそれを探し、自分のイメージに合うようなものがあればそれを買ってみて、そうして私のコレクションは増えていく。

この糸とこの糸はいったい何が違うんだろう。

この仕掛けは…。

しかし、そうしているだけで心が落ち着く。

自分はそこに関わっていられる。

それだけで、釣りオヤジの仲間入りができたつもりになっただけで、幸せな気持ちになるのだ。



 今、男の居場所が減ってきている。

いや、厳密に言えばオヤジの居場所だ。

職場でもお局に気を使い、上司に気を使い、部下に気を使い、家ではそれ以上に気を使う。

子どもが大きくなれば、それに合わせた気遣いをし、妻に対しては月一度のものに合わせた気遣いをする。

それでも、うまくいかないことがある。

そして、理不尽な心的苦痛を受けたり、謝罪をしたりする。

しかし、それは強いからこそできることなのだ。

弱いものが人に気遣いなどできるわけもなく、居場所を追われて、謝罪を強要され、耐えられるわけがないのだ。

それを勘違いしたマスメディアなどが、男は弱くなった、女が強くなった、などと面白おかしく報道する。

オヤジは弱くなったのではなく、その分、更なる強さが求められている時代なのだ。



 そんな、オヤジ達が一息つける楽園であり、サロンがある。

それが釣具屋である。

今日も釣具屋で、オヤジは心を休め、また、次の戦いに備える。



 最後に、オヤジと、オヤジの楽園に栄光あれ、と締め括りたい。


お疲れ様でございます。

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