2017年4月27日木曜日

釣りに関しての考察 ニーアオートマタ

どうも皆様おはようございます。
ダンディ万太郎です。





ニーア・オートマタ。

いいゲームだった。

とてもしっかり作られていた印象だ。

ハイヒールでぶっちぎりで走る絵はゲームならではと言わざるを得ない。



 一点、不満な点があった。

釣りだ。

このブログにしては致命的だ。

このゲームに関して、釣りは果てしなく地味だ。

私達が考えなくてはいけないのは釣りをする場所くらいだ。

釣れる魚やモノが、世界観をよりアピールし、鮮明にしてはいるが、釣自体は作業以外の何物でもなく、くじ引きだ。

もう少しネタが出てくるかと思ったが、私の実力ではアレでせいぜいだ。






 釣りを知らない人からすると、釣りは地味なスポーツに映るかもしれない。

しかしそこには海老との、イソメとの会話があり、魚との対話がある。

そもそも、釣りの何が楽しいのだろう。

それは人それぞれだと思う。

仕掛を選ぶ楽しさ、揃える楽しさ、作る楽しさ、釣り場までの移動の楽しさ、投げる楽しさ、マキエの楽しさ、魚を待つ楽しさ、魚とのやり取りの楽しさ、捕獲したときの楽しさ、調理する楽しさ、食う楽しさ・・・。

一つ一つを語りだしたら留まる事を知らないだろう。

それをボタン一つで表現するのは少々乱暴だったかもしれない。



 だが、ひとつ大きな前提が抜けていた。

3000年後の話である。

ニンゲンの心は移ろい易く、儚いものだ。

その頃にはヒトの感性も大きく変わり、指一本動かさずに、ロボットに魚を取りに行かせては、

うっは、チョーサイコーwww、草生えるwww

となるのかもしれない。

そればかりは、誰もわからないのだ。

明日のことだって、今後の釣果だって。


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