甲殻暦1192年。
オキアミ率いる海老軍とメジナ軍との長い戦いは続いていた。
海老が領土と主張していた北方領土、色丹島にメジナが姿を現したのは甲殻暦1189年。
色丹島の雲丹は棘を鍼として用いる雲丹棘鍼治療を得意としている。
雲丹の動きは止まって見えるほどゆっくりではある。
オキアミはプランクトンの一種と言え、海老のようなフォルムからも見て取れるように、特に2,3歳になったオキアミは腰をよく痛める。
オキアミの泳ぎは海老のそれとは違い、泳ぐ、と言うより漂う。
この漂っているようなゆっくりとした動きと雲丹の鍼が完全に同期し、この腰痛治療がオキアミを喜ばせた。
また、餌の少ない寒い地域なので、雲丹も外敵からよく狙われる。
このため、棘が他の地域のそれより鋭いのだ。
こういったことから、オキアミだけでなく、所謂甲殻類としての海老も殻の外側からの鍼治療が有効的で海老一同この地を聖地として扱うほどであった。
一方、メジナの目的は昆布、藻である。
メジナは雑食性とはいえ、昆布や藻類を食すことが知られている。
藻の球状集合体、毬藻は北海道では言わずと知れた名産物である。
毬藻は淡水で育つので、湖で見られ、北海道の阿寒湖の毬藻は最大30cmほどとなり、特別天然記念物とされている。
その毬藻が増水等の影響で海に流されることがある。
毬藻は海水で生きることは出来ない。
海に出た毬藻は大抵千島海流に流されてしまうが、時折日本海流に乗ることのできる毬藻がある。
暖流である日本海流は酸素が豊富で海水に浸かると駄目になってしまう毬藻もある程度存続ができる。
こういった毬藻が流れ着くのが色丹島であり、海水に絶妙に浸かった毬藻はメジナたちにとって絶品とされていた。
メジナがこの地にやってくるのも全く不思議ではないのだ。
体躯も大きく、動きも早いメジナ軍の快進撃は続き、海老軍は完全な劣勢を強いられ反撃の糸口を探っていた。
甲殻暦1190年。
海老軍の中でもとりわけ被害が大きかったのがオキアミ兵であったが、北海道の民間会社、株式会社沖が人間を操縦する術を開発した。
人間の持っている、よくしなる長い棒状の竿と呼ばれるものに糸をつけ、その意図の先に鈎をつける。
その鈎に乗ることにより、オキアミの触覚、顎脚、第一小顎を鈎とラインの結び目に擦り付け、人間の神経細胞に干渉し、操る。
干渉を強くするために、鈎と竿の間のラインに海中と空中を隔てさせ、干渉波を倍増させる為の浮きと呼ばれるものをつけることもある。
この発明が海老軍の戦を変えた。
オキアミ兵は次々と鈎に乗り、乗り切れないものは群れとなって海を漂い、援護をした。
人間を操り、鈎を操り、攻めてきたメジナ兵をその鈎に掛けると、それを察知した人間がこれを引き上げる。
人間はそのメジナを調理すると言うわけだ。
徐々に戦局が変わり、圧倒していたメジナは逆に退却を余儀なくされた。
様々な戦いを経て、今日の戦場は東京、若洲海浜公園。
いつものように鈎に飛び乗り、海中を漂う。
今回の人間はやけに扱いづらい。
変に癖がついていて、これではメジナを鈎に掛け様にもなかなか掛からない。
朝4時30分から始め、3時間後、ようやく。
来た。
メジナだ。
鈎についたオキアミ兵はここぞとばかりに鈎を引き、人間を誘う。
ようやく巧くいった。
次のメジナを誘う。
鈎を引く。
二匹目のメジナを捉えてからなぜか人間との交信がうまくいかなくなる。
・・・。
この人間は役に立たない。
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どうも皆様おはようございます。
万太郎です。
連休の最終日5月6日。
釣りができるのであれば、明日からの仕事に対する諦めもつくというもの。
どうも今日は調子が悪く、思ったように体が動かない。
連休疲れか。
撒き餌を投げながら誘いを入れると、手前7,8メートルのあたりで浮きが沈みこむ。
メジナだ。
25cm程度だろうか。
いいサイズだ。
そして次の一投でもメジナ。
二匹目は少々小さいか。
二匹目のメジナをあたふたと鈎から外していると、竿が折れていることに気づく。
いつの間に折れたのか。
日新の竿は安かったけれども、とてもいい仕事をした。
心から感謝する。
高いのは使ったことないのだが。
続行は不可能とし、時間も良いので納竿とした。
珍しく釣れました。ありがたやありがたや。堤防の付け根に小魚うじゃうじゃでした。ギンポ?
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