皆様おはようございます。
万太郎です。
万太郎です。
3月25日早朝。
海老被害0。
大したものだ。
これからも被害0を続けることは困難だ。
私はその大きなプレッシャーがストレスとなり、逃げ出したくなる衝動にかられた。
私は車に家族を乗せ、アクセルを踏み込んだ。
東京を離れるのだ。
妻が心配そうな顔で私に問いかける。
「ねえ、大丈夫?」
もう、いいんだ。
高速道路で更にアクセルを踏み込み、スピードを上げる。
視界に入ってくる車両という車両を追い越し、ハンドルを握る手に力が入る。
後部座席の子供たちも心配そうだ。
サービスエリア、パーキングに立ち寄ることもなく2時間ほど車を走らせる。
少し落ち着きを取り戻した私は高速道路を降り、一般道を走った。
気づいた時、そこは、鬼怒川であった。
まだ日は高い。
妻が心配そうに声をかける。
「これから…どうするの…。」
そうだ…。
渓流釣りだ…。
そもそも私は海老の護衛ではなく、むしろ私は渓流釣がやりたかったのだ。
プレッシャーとストレスで追い詰められた私は海老やイソメの護衛からいったん離れてみるのもいいかもしれないと考えた。
独り言のように提案をした。
渓流釣りをやろう。
「生臭くなるから却下。」
勢いよく、被り気味に妻に否定される。
海老の護衛の修練にも…と言いかけ、口をつぐんだ。
私が釣り好きなことは妻は知っている。
若洲など釣場に出入りしていることもよく知っている。
だが、よもや危険な海老やイソメの護衛をしているとは夢にも思うまい。
釣りは護衛とは異なるが、釣りの修練は護衛の修練にもなり得る。
護衛の任務の事を知らないからであろう、私がこのような修練の機会を得ることを平気で却下するのだ。
もちろんこのブログの事も知らないのだ。
一介の主婦である妻が検索するキーワードで、この危険なブログがひっかかろうはずがない。
「じゃあ、時間もないし、この辺の公園かなー」
渓流釣りの修練はここでしかできないのだ。
私はあくまで 抗議する。
ほら、ここならすぐ手も洗えるし、渓流もきれいだし、すぐ釣れて楽しいよー。
私は携帯で検索し、画面を見せる。
また、道中で手に入れた案内を見せてみる。
「今日は釣りはいいんじゃない?」
私はわかってもらえない、しかし言ってはいけないもどかしさを感じた。
私はその後も抗い続けたが、結局は逆らえぬのだ。
逆らえば、ヨメキゲワルナールが発動しやすくなる。
渓流釣り…
私は車の運転席で何もない頭上を仰ぎ見るのだった。
続く。
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